清友監査法人 SEIYU AUDIT CORP.

COLUMNコラム

端午の節句

総務の杉浦と申します。
4,5月、繁忙期中の会計士たちに代わりまして、初めてコラムを担当させて頂きます。

まもなく端午の節句を迎えます。
息子が成長するにつれ、「お祝い事」というより、休日の一つという認識が強くなったように感じます。
「ハーフ成人式」など、新しい祝い事も耳にするようになり、時代に応じて風習は様々に変化していますが、改めて「端午の節句」についてお話させて頂こうと思います。

旧暦の「午の月」(5月)の最初を節句として祝っていたものが、のちに「端午の節句」の日(5が重なる5月5日)となりました。
人日(1月7日)、上巳(3月3日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)と合わせて五節句といいます。
元は厄除けの風習で、菖蒲酒を飲んだり菖蒲を飾るなどしていたものが、江戸時代に、「菖蒲」が「尚武(しょうぶ、武を重んじる)」と通じることから、「尚武の節句」として武家の間で広まったと言われています。

また、五月人形と鯉のぼりは、武家での男児誕生を祝い、健やかな成長を願って江戸時代に始まったとされます。
「鯉のぼり」というと、色とりどりの鯉たちが思い浮かびますが、江戸時代は真鯉(黒)のみでした。
浮世絵師・歌川広重が江戸時代に制作した「名所江戸百景」の「水道橋駿河台」には、水道橋と駿河台の街を背景に風になびく真鯉が描かれています。
童謡「こいのぼり」(昭和6年)が制作された当時は「真鯉(黒)」が父親、「緋鯉(赤)」が子供を表していたため、歌詞に出てくるのは「おとうさん」と「こどもたち」だけです。
その後30年ほどで、小さい青鯉(子供を表す)が登場し、緋鯉は母、と再定義されました。
鯉のぼりの多色化は、職人が東京オリンピック(昭和39年)の「五輪マーク」を見て思いついた為とも言われているそうです。

先日、三重県津市で撮影した鯉のぼりです。
空高く悠々と泳ぐ鯉のぼり一つ一つに、子供が誕生したときの喜びや、健やかなる成長を願う家族の想いが込められていることでしょう。
そしてその想いは、今も昔も、どんなに時代が移り変わろうと、子供が成長した後も変わりません。
浮世絵に鯉のぼりが飾られた風景が描かれていることは大変興味深く、その他の作品からも人々の暮らしの中に様々な風習や風景があったことが窺い知れます。
定着、簡略、消失、を繰り返しながら風習は時代に応じて変化していきますが、その由来を知ることで、昔の人たちがどのように過ごした日だったのか、思いを巡らせる良い機会になりました。